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海のサバイバルキャンプ Archive

4月4日(土)-5日8日(日)相模湖お花見の宴

緊急告知です!

 突然でお騒がせ致しますが、私なりに東京近郊で最高のお花見をしたいと思います。開花のタイミングが合えば「幻想的」で「叙情的」な時を過ごせます。
 ここ相模湖弁天島は相模湖の直ぐ下流にも関わらず人知れず桜の林が川面に花びらを降らせている場所。流木の焚き火がちょろちょろとした火になるころにはその横で眠りにつく。
 目を覚ますと桜の花びらが枕元に落ちていて、それだけでいいのもです。
久しぶりに静かに一杯やりませんか?
 
  ★遅れてくる人も、日帰りの人もいつでも大歓迎!
○日時 4月4日 
13:00 買出しから手伝ってくれる人のみ橋本駅北口ロータリーに金子君が待っています。
15:00 JR相模湖駅(JR中央線)ロータリー集合(改札は1ヶ所)
15:15 相模湖弁天島キャンプ場集合
  それ以降の合流解散は、各自で・・・一応下記金子君にTEL
翌 朝  ながれ解散
○食事は・・・夕食晩餐(酒も)と翌朝食の食材は金子君を中心にかい出しておきます。
○寝袋は・・・ある人は各自。ない人の分をいくらか大町から持って生きます。
○その他・・・テントやなべ、食器も大町から運びますので、防寒具があればOKです。天候により雨具などは各自で。
 現地は釣りとか山菜採りOK
 温泉も歩いて15くらいであります。
○ちょうどいいJR列車は
東京駅13:25 新宿13:39 八王子14:32 高尾で乗り換えて相模湖14:49
この列車の時刻表は・・・こちらへ
○参加費  1人3000円 学生2000円 高校生以下1000円
○場 所  相模湖弁天島キャンプ場・・・マップへ      神奈川県 相模原市 相模湖町千木良 1002
      042-684-2436
   車で来る人は、津久井養護学校裏の空き地が駐車場です。
キャンプ場への道が悪いので、近くまで来たら電話をいれてください。
朝重が19:00にしか着けないので幹事を近くに住む国士舘アジア21のOB金子君にお願いしました。
  当日と準備手伝いの方の連絡先 金子090-8778-2964
  申込みは 0261-23-6860 or info@morikura.com
  
 

 

カサゴ,メバルをゲット!・・・平郡島便り


 9月6日~8日,平郡島に行ってきました。目的は現地での拠点づくり,平たく言えば島に家を借りていつでも好きな時に島を訪ねることが出来るようにするための家探し。まあこう言うことは簡単には運ばないのでまずはこちらの熱意を伝えるだけになりましたが、島の方々は親身になって候補となる家を当たって下さいました。そのうちに朗報が飛び込んでくるかもしれません。
 で、島へ行けば当然のごとく釣りです。予てから狙いをつけていた場所で狙い通りの釣りができました。写真は25cmサイズのカサゴ。

 4.6mの渓流竿にミチイト1.5号,ハリス1.0号,ハリはチヌ3号,ガン玉中,餌はアオムシまたはフナ虫。暗闇の中で電気ウキやケミ蛍などの発光目印はなく手に来るアタリだけが頼りの探り釣り(脈釣り)。
 メバルのアタリは大きさに反比例します。すぐに鋭いアタリがあって15cm級のメバルが立て続けに釣れるましたがすべて放流。微かにひっかかるような,あるいはコツンと言う小さなアタリの場合は大きいものが期待できます。
 この夜は好調で、3時過ぎまでに25cm以上のカサゴを3尾,メバルは18~24cmを11尾,それ以下の放流サイズを16尾,計30尾を釣ってそのうち14尾をゲットしました。

 カサゴの引きは強烈で、根に潜ろうとしてぐいぐいと引く。もちろん根に潜られればそれまでだし、かと言って強引な引っぱり合いをすれば切れる。潜られないように、しかし引き過ぎないように竿の弾力を利用して頑張っていると向こうが力を使い果たして上がってくる。
 竿が柔らかければたわめる力が大きくて引っ張り合いがより面白くなる。こちらも竿の弾力を利用できるが、それは向こうにとっても有利に働く場合があり、逃げ切るチャンスが生じる。その駆け引きがたまらない。竿が強すぎるとその妙味がなくなってつまらない釣りになるのだ。
 この夜は竿が短かかったのでラインを長く取ってバカを出していたため、3尾のカサゴは重すぎて竿を立てても手元まで上がって来なかった。なのでやむなくラインを手繰って引き上げた。

 カサゴは見た目は立派ですが頭が大きくしかもその大半は口であるため、頭を落とすと残った身は思いの外少なく、この点では口も大きいが頭より胴部が大きく身も多いメバルに軍配が上がります。しかしどちらも煮つけて美味しい魚で、特にカサゴの頭や骨からはいいダシが取れるので吸い物やアラ汁にいいし、頭にも結構身があって食べ応えがあり、決してメバル劣らない旨い魚です。

 

続・干しタコつくり


  
 裏返した頭(胴)部の袋を棒状のものにかけた状態で、足のつけ根の一ヶ所を切り開き、足を広げて形をつくる。

 ここで予めつくっておいた竹の小道具が登場。馬蹄形に整形したものと、両端を尖らせた竹の突っ張り棒。干しタコづくりはこれらの竹細工から始まっていたのだ。


 頭のカーブに合わせて馬蹄形の竹を入れ、8本の足は突っ張り棒で広げて形を整えるとほぼ完成。

 

ハイライトは干しタコづくり!


  
   今回のキャンプで一番印象深い体験は何と言って干しタコつくり。船倉の生簀にいるタコを手で捕まえ、眉間に鋭い鳶口を差し込んで絶命させたた後、頭(実は腹)をひっくり返して内臓を取り除き、これを竹でつくった串に貼りつけて干すと言う、超刺激的な体験をすると言うまたとない機会を得て、子ども達もスタッフも大興奮した・・。

  
 まずは全員船に乗る。漁船に乗せてもらうのも初体験の人だっている。

  
    
 生簀の中からタコを手づかみで引っ張り上げる。この時のタコの色に注目。上のタコは赤くて生き生きとしている。
 Takaharuさんが目と目の間に鳶口を刺し込むと、タコがサァーッと白くなり、これで締めが完了。急所を刺していないと色が変わらない。時には半分だけ白くなり、片方は赤いままと言うこともある。一発で締めるのはなかなか難しい。

  
 真っ先にタコ締めに挑んだのはYuya君。Åkkoさんも大奮闘。

  
 みな一斉にタコと格闘し、船は修羅場と化す・・。続く

 

撤収後,港で釣る


 
 8月5日,五十谷三島から引き上げる日。ここまで、Akkoさんの指導よろしきを得て朝晩の食事は素早くスムーズに運んでいた。いやスムーズに運びすぎていた。
 欲を言えばもっと失敗や苦労をさせたかったのだが、この日ばかりはラボと言う集団が150名の子ども達を浜に連れてくることが分かっていたので素早く食事をすませ、10時までにすべてを片づけて浜から東港への移動を開始させたかった。
 撤収作業は順調に進み、予定通り10時に出発。ラボの大集団とは朝便のフェリーで東港に上陸し、浜へ向かって歩き始めたばかりのところですれ違い、混乱なく入れ替わることが出来た。 

 
 この日は東港の近くの空き地で幕営する予定のところ、Kojiさん等のご好意でお宅に泊めていただき,ドイツ帰りのシェフであるKojiさんが、Takaharuさん,Masakazuさん等と共に海から獲ってきたばかりの新鮮な魚介類をふんだんに使った磯の料理をふるまって下さることになっており、またTakaharuさんには漁が終るのを待って干しタコ造りを教えてもらうことになった。
 干しタコづくりまでの数時間,やっと釣りをする機会が出来、船着場で初めて全員揃ってアジ狙いのサビキ釣りを始める。
 この日はNaotoの竿によくヒットしてアジや小サバ,カマスの仔などがよく釣れ、例によってその場で3枚に下ろして片っ端から食べながら釣り、釣りながら食べると言うOkkunが楽しみにしていた展開になった。
 今回は初日に午後便で島に入ったためにこれが出来なかったのだが、やはり朝便で入って初っ端からこの釣りを始める方がインパクトがあったかもしれない。

 
  左・逃がしておやりサイズ/右・まあいっかサイズ

 

Mayu&母さん登場・・,かれいカレーで華麗な夜

 
 Mayu/Kei&Mayuの母さん(向こう向きですが・・) 
  
 
 Mayu & 母さん登場
 4日の午後便でKeiの妹のMayuとお母さんが到着し、中2娘が3人揃って女の子達が俄然元気になった。
 夕食はTomさん一家と一緒に野菜たっぷりカレーをつくることになった。Tom&母さんはカレーにはちょっとうるさい。食材はあまってら農園から運んだジャガイモとタマネギ,ニンニクにTomさん持参のナス,ニンジン,島で頂いたとカボチャ・・。
 2人の協力に新戦力・Kei母さんも加わって期待以上の美味しい出来となり、華麗でかれ(辛)いなカレーの夜となった。

 
 明日は五十谷三島を離れて東港のKojiさん宅に泊めてもらうことになっているので今日が浜の最後の夜だが、暑さ疲れのせいか、みな早々に寝てしまった。

 
 今夜はきれいな三日月だった。月が没し、子ども達が寝静まった深夜,潮を見はからって磯に出てみたが、大潮の夜,あれほど沢山上がって来ていたマツバガイやヨメガカサは殆ど見られなかった。貝類の動きも潮が大いに関わっているようだ。

 

貝ムラサキ


 
 貝ムラサキとはある種の貝の紫汁腺(パープル腺)と呼ばれる器官から分泌される物質を使って染める貝染めと言う技法(および染められた色,または染め物)のこと。
 世界各地で古くから知られており、地中海地方ではフェニキア人によって発見され、ギリシャやローマに受け継がれて『帝王紫』として高貴と権力の象徴として皇帝や聖職者によって独占的に利用されたと言う。 
 一方,貝紫はメキシコや古代インカでも独自に発見され、また日本でも吉野ヶ里遺跡から出土した弥生時代の銅剣に付着した紫の布が貝染めによるものと判明したそうだ。

 
  
 貝染めに使われる貝の殆どはアクキガイ科の巻貝で、ここではイボニシと言う殻に突起のある小さな巻貝を使う。 
 この貝を叩き割ってパープル腺から紫汁を絞り出し、爪楊枝などで字や絵,記号を描く。布は白がよいが
紫色とかぶらない薄い色のものなら何でもよい。

 
 紫汁自体は薄いコバルト色だが、これを紫外線に当てると見事な濃い紫色に変色する。この紫色は紫外線発色なので太陽の光で褪せると言うことがなく、いつまでたっても鮮明な色を保つのが特徴だそうだ。

 
 各自思い思いにハンカチや小切れに名前や好みのマークを書いたりして貝染めを楽しんだ。

 

海の幸をゲット!


 タコをゲット/Junnさんの漁
    一通り潜水講習を終えた子ども達は思い思いに潜って海底を観察したり獲物を探したり・・。しばらく後にはNaotoが小さいながらタコを突いてきて皆を驚かせた。
 Junnさんも沖合いに出てカサゴやウニ,サザエなどを確保し、私達に届けてくれた。

  
 午後からは子ども達に岳君も加わってウニ,サザエ,ベラや巻貝などの獲物を確保。食べられるものもあれば得体の知れないものもある。
 赤いウニは身が詰まっているが、黒い奴は食べられる部分が殆どない。ブンブクとか真っ黒クロスケ(スカシパンか?)みたいなウニだかクラゲだか分からないようなものまで上がってきた。
 まあ食べられれば何でもいいし、食べられないことが分かればそれも勉強だ。

    src=”http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/ec/deffbf26307029234f6dceec4f5c27ac.jpg”>
 お昼過ぎにはタコ壺漁から帰ったKojiさんが取れたばかりのタコを届けてくれた。さっそく火を起こして網焼き&天ぷらに・・。

    
    
 一方,こちらは朝採ったマツバガイ,ヨメガカサ等の磯の貝の汁。Nonちゃんが気に入ってしっかり食べてくれた。
 Aki・Tomo父さんがクサフグをいっぱい釣ってきてくれて捌くのが忙しかったが全部頂き!
 
 夜はカサゴの煮付けとアラ汁(ツルナ入り),アジの塩焼き,タコ飯,サザエのつぼ焼き,ルッコラ・・,海の幸いっぱいの豪華な晩餐。
 

 

クサフグを捌く


  
 昼間の釣りでは餌取り名人のクサフグに悩まされる。どこの釣り場でもクサフグは厄介者扱いで、海に返されること無く堤防の上に放置されて干からびているのをよく見かける。中には憎しみを込めてコンクリートに叩きつける人もいる。おとながやって見せるので真似する子どももいる。
 元より釣れたクサフグに罪があろう筈は無く、釣人の技術の結果釣れただけのことであるのにクサフグに当たるのは筋違いも甚だしい。食べないなら海に返すべきであろうしその前に釣るなと言いたいが、釣ってしまうのは自分も同様で、できるだけ丁重にハリを外してお引取り願うが、大き目のものは捌いて頂くことにしている。クサフグと言えどもフグはフグで美味なることこの上なく、しかも免許が無い以上他人に食させることはできないので堂々と全部1人で食べることが出来る。

 ①頭の後ろから包丁を入れて
   
 ②頭を引っ張り、皮と一緒に内臓を剥ぎ取る
        
 ③切り離された頭部・内臓と可食部分の身。
 フグは血液,卵巣,肝臓,皮に毒があるので、それらを全部取り除いて海に捨て、身についた血はよく洗い落とす。
 頭の後からではなく首から切りを入れて後ろの皮1枚を残し、頭を引っ張って皮を剥ぐと内臓も一緒に取れるので、その方がいいかもしれない。

 ④三枚に下ろして骨付きの部分も捨てる。
        
 ⑤薄皮にも毒があるので剥ぎ取る。
            
 ⑥わずかな血もついていない棒身
 三枚に下ろして骨付きの部分も捨てる。うまく処理すれば骨の中の骨髄も食べられるらしい。中には肝の血を洗い落として食べるという人もいるが、そこまで危険を冒すべきでなく、筋肉の部分だけを食べることにして、他は一切捨てることが肝要。調理道具についた血をしっかり洗い、また調理場に落ちた血もよく洗い流して地上には不食部分を一切残さないこと。

 ここまできれいに処理すれば安全だが、クサフグは筋肉にも毒があるとする記述もあり、また漁師さんの中には季節によっては食べない方がいいと言う人もいる。
 Takaharuさんは『命がけで食べるほどのものではない』と言い、他にいくらでも美味しい魚はあると仰る。数多くの種類の魚を相手にしている漁師さんの言葉だけに説得力がある。
 確かに『フグ』,『フグ』と目の色を変えるほどのものではないかも知れない。大きいものならともかく、小さいのを捌くのは面倒すぎる。

 

JUNさんの潜水教室



 Junさんは潜り漁の人。   
 神奈川県の高校で社会科を教えていた方で、去年,夫人と愛娘Nonちゃん(2才)を伴って平郡島にIターンし、素潜り漁の漁師さんになった変り種の人。小柄ながら逞しい体つきで日(酒?)焼けした顔いっぱいに髭を蓄えるが、時折その髭をサッパリ剃り落としてしまうことがあり、そうすると本人と気づかず通り過ごしたことがあるほどで、柔和な目をいっそう細くしながら連発するオヤジギャグとの落差は大きく、実際は見かけ以上に若い。
 JunさんがIターンするに至った経緯は『水無月さんの平郡島行き顛末』  
 http://www.geocities.jp/takaharu0028/minazukisan.htm に譲るが、わずか1年余りで島の生活にしっかり溶け込み、その風貌とも相まって今や誰が見ても『島の漁師』さんである。


 そのJunさんが、Kojiさん,Takaharuさん,Masakazuさん等Urabe3兄弟漁師さん等と共に私達のキャンプに全面協力して下さり、頻繁に顔を出して子ども達やスタッフ,参加者に島での楽しみ方を伝授して下さった。
 (以下『下さる』とすべきところ『くれる』に略す)
 今日はJunさんの現在の本職である素潜り漁の基本になる『潜水』教室。


 1時間あまりの講習でシュノーケルの使い方を教わり、うまく潜れるようになったようだ。
 Masakazuさんも素潜りの漁師さんだが彼は一息で5m,10mと深く潜って漁をするのでシュノーケルは使わない。一方,Junさんは主に潮の流れの速い岩場などの比較的浅い所での漁が多く、そう言うところでは息継ぎのために一度目を離すと同じ所に視点が戻らなくなり、目標を見失ってしまうのでシュノーケルは必要なのだそうだ。同じ潜り漁でも漁場が違えば潜りかたも違うようだ。
 
 この後,Junさんの手ほどきを受けたNaotoが何とタコをし止めてきて皆を驚かせた!


 島に朝便が戻って来た。この船で『獲れたて瀬戸内,岳ジャガ情報』の岳君が来ることになっている。

 

夜釣り,磯漁り


 広島組のうちのOgata,Fhujii,Akiの3人は明日午後便までの滞在なので時間が無い。なので渓流でも海でも、釣りでは私の数段上を行くOgataを誘って当然のごとく夜釣りに出る。
 新月で大潮らしく、磯の先端に出るにはまだ潮が高すぎたので、あまり深くない近場に竿を出してみたがアタリは無く、潮が引くのを追いかけながらメバルを狙って徐々に磯の先に向かうが反応が無い。

 イワガキ,カメノテ,カラス貝
 午前2時をまわって釣りを諦め、岩にへばりついた貝を取る漁りに切り替える。対象はヨメガカサとこれによく似たマツバガイと言う一枚貝で、潮と共に上がって来て、取り残されたものをナイフで取る。
 両者ともほぼ同じ菅笠のような形の貝でマツバガイの方が幾分厚みがあるが平べったい貝で、岩にピッタリと張りついている。岩肌をゆっくり移動するので、その時に貝殻と岩の間に隙間が出来るが、何かの気配を感じると吸盤のようにピタッと岩に吸いつく。こうなると手や指で剥がそうと思っても剥がれるものではない。なので移動中に岩との間にナイフを差し込んで浮かせて剥ぎ獲る。
 採った貝は身を親指の爪でこそぎとってそのまま食べるかゆでて出汁を取り、かつ身を食す。貝類はいずれもいい出汁がでる。
 内臓を取り除いて食べるが、胆が美味しいので内臓ごと食べてもいい。身はトコブシやアワビのようコリコリとして美味しいが、何分にも小さいので採りながら食べ、食べながらまた採る,あるいは貝汁にして食後のひと時に談笑しながら食べるといった具合のもので、食糧になるほどではないが、磯の楽しみの一つである。フジツボやカメノテ,ヘビガイ,シッタカやナガラミ等の巻貝等も同様である。
 大潮で普段は潮が来ないようなところにもこれらの貝類が登って来ていたが、上の方はみな小さい。ところが潮が引くにつれてどんどん低い方に追っていくと次第に型が大きくなり数も増えて4時までの2時間弱で200個あまり集めることが出来た。

 4時になって潮が相当下がり磯の突端まで出ることが出来るようになったので再び釣りに戻る。すでにメバルの時間帯ではないがべラが狙えるはずである。
 餌取りのクサフグがうるさかったが、そのうちにイソベラが釣れ始めた。イソベラは小さい割には強力な引きで根に潜ろうとするので結構楽しめる。ここなら子ども達にも確実に釣りを教えることが出来ると考えて人数分を揃え、7時に終ってテン場へ帰る。
 一旦帰って子ども達を釣りに誘い出そうとしたのだが、子ども達はすでに起きて食事を済ませ、海に入る支度をしている者もいた。しまったと思ったが遅かった。
 
 磯で一番面白い時間帯は5時から7時くらいの間であろう。明るくなるのを待って腹をすかせたまま出かけ、貝類を拾ったり朝まづめの魚を釣ったりして朝の食糧を手に入れ、戻ってみんなでそれを食べながらその日の計画を話し合う~と言う構想を描いていたのだが、釣れるかどうかを試しているうちに子ども達が意外に迅速に行動してしまい、ごく普通の日常的生活を始めてしまっていたのだ。
 やはり、子ども達を起こして海に連れだす現場にいなくてはいけなかった。この失敗は今回のキャンプを大きく左右してしまいかねないものになると言う予感がした。

 

夜の海を泳ぐ

 
 昨日,今日の長旅と初めて見た五十谷三島の浜と島の景色,海が真っ赤に染まった夕暮れのひと時,子ども達は何を感じ、何に思いを馳せているのだろうか・・,
 久々に聞く波の音。寄せては返すその音のみひときわ大きく、他に何も音のない世界に呑みこまれてしまったかのように、子ども達は,思い思いの場所に散らばってひっそりと耳をそばだて、闇の中で目を瞠っているかのだろうか・・。

 生暖かい風が海から吹いてくる。波の音は大きいが波は穏やかで規則正しくリズムを刻んでいる。
 波のうねりにゆったりと身をゆだねて見たくなり、また汗ばんで火照った体を冷やしたいと言う気も手伝って夜の海に浸かる。
 『泳ぐぞぉ~』の声を聞きつけて、テントの中にいたAkiが水着に着替えて来た。
 夜の海は気持ちがいい。何よりも泳ぎにつれて夜光虫が光るのがきれいで、それを浜から見ている人に見せてあげたいのだけど、泳ぐ者の動きが刺激になってそこにいる夜光虫達が光るのだから、こればかりは泳ぐ者にしか見えない。
 Akiは上から見るだけでは物足りなくて潜水具をつけ、潜って水中から夜光虫の光る様子を見ると言う。それは数倍素晴らしいに違いない。
 どうして自分も海の中から夜光虫の光を見ようとしなかったのだろうと,しきりに後悔している自分がいる。
 若さとは何とエネルギッシュなものなのだろう・・,と思う。自分にはそこまでの好奇心がなかったことに気づかされて少しショックを受けているのかもしれない。

 夜の海を泳ぐのはきもちがいい。
 

 

島の第一夜


 夏本番を迎えて島に渡る人も以前よりぐんと増え、それを迎える人々も入り混じって船着場はごった返していた。そんな人々の群れの中,私達を迎えに来てくれたkojiさん,Takaharuさん,Junさん等のにこやかな顔と共に、島に移住して農業を営みながら原発問題や平和運動に取り組んでいるMさん夫妻の顔があった。
 一行を代表して高1のKei君が挨拶したのを受けて、Koujiさんは『今日はともかく時間が無いのですぐに五十谷に移動してテントを張る』ようにと言い、明日にも『タコを持って行くから、自己紹介等はその時に!』とつけ加えた。

 出迎えてくれたMさんからは『私達は8・6の関係でしばらく島を離れるので、
その間,軽トラを使ってもいいよ』と言う願っても無い申し出を受けた。
 実は島に車を運び込みたかったのだが、往復で6000円もかかるので断念したと言う経緯があったので、感謝してあり難く使わせて頂くこととなり、さっそくテントやクーラー,炊事道具,ブルーシート,カヌー等の大きめの共同装備を積み込んだ第1便が浜に向けて発進。子ども達も最小限の荷物で元気よく浜に向かって歩き始める。
 五十谷に向かう道の峠を越える時、海に落ちる寸前の真っ赤な夕陽を見る。

 Miyuki,Ruriko(中2)の2人とスタッフのAkkoさんのテント~4日からMayu(中2)とお母さんが加わる。

 Yuya,Naoto(小5)の2人とKei(高1),スタッフのOkkunのテント~3日からYuki(高1)が加わる。

 火を焚いて食事

 すべての人と荷物が五十谷三島に移動するとすぐにテントが張られ、火を焚き遅い夕食を摂る

 FHCのOさんとFさんのテント

 Tomoko・Aki姉妹一家のテント
 こうしてキャンプ最初の夜を迎える。みんな、広げたシートに寝転がってすぐに寝てしまった。

 

防予諸島・平郡島

防予諸島防予航路
 周防と伊予の間に位置する島々を防予諸島と言い、平郡島はその西端に位置する。


 地図上の屋代島は大島とも言い、本土とは橋で結ばれているので柳井市から上関に向けて突き出た半島と、大島とに囲まれた部分は湾のように見える。その最奥に柳井港があり、四国の松山に向かう防予航路や平郡島に向かう平郡航路,祝島に向かう航路の発進基地となっている。
 松山行きのフェリーには、途中,大島の伊保田港に寄るものがあるが、面白いのはこの伊保田と松山の三津浜港間がなんと国道437号の海上区間となっていることだ。つまり海の上に国道がり、そこを走る唯一の交通機関が『周防大島松山フェリー便』と言う訳だ。
平郡航路平郡航路2
 閑話休題。柳井港を出たフェリーは右手に上関に至る本土の陸地部に沿って大島とに挟まれた海域をゆっくり南下(南南東)する。左手に見えていた大島の先端・法師崎を通り越してようやく正面に平郡の島影が見えてくると、船は平郡島の櫛崎と言うやや西に張り出した岬を迂回するために少し西に曲がる。それはまた陸地に沿って半島の千葉崎を廻りこむ様にやや西に曲がることにもなり、そのため上関に接近する感じがする。平郡航路は原発の着工に揺れる上関と縁が深いのだ。

 上関方面/櫛崎の漁場

 櫛崎は有数の漁場で、朝便でここを通る時は無数の漁船がひしめいているのが見られる。岬を廻り込んで船はやがてそのつけ根に当たる西港に着く。

 西港/長崎鼻

 西港を出た船は南東に進路を変え、長崎鼻という大きな岩壁の沖を通過すると行く手に五十谷三島が見えてくる。

 三島が見えて来た/ここを大きく廻る

 そこまではほぼ真東に向かって進むことになり、やがて三島の沖を大きく廻り込んで通過すると北東に進み、最後は盛鼻と言う突端を回りこんで1時間40分で東港に入る。
 このように平郡航路は島の一番外側を大きく廻り込みながら走るので時間がかかるのだ。

  無数にある大小の島々も平郡島以西は極端に数が減り上関の左手,南西方向は豊後水道を隔てて国東半島が見える。東に目を転じれば松山に至る航路が見え、そこから南西に長く伸びる半島は佐多岬半島で、先端の佐多岬はほぼ国東半島にまで達する。また松山航路から東に見える山塊の中に四国最高峰の石鎚山(1982m)を望むことも出来ると言う。

 航路の近くでスナメリの背を見た!
 船客のある人は本州,四国,九州と、北海道以外の3つの島が見える航路だ~と胸を張ったが、それはウソではない。

 

会議・買出し・そして島へ


 8月2日(土)5:00起床。まだ寝ている者はそのままに起きている者だけで朝の散歩。帰る日に備えて西広島駅行きのバス停を調べる。
 3つのバス停を見てどこが一番近いかを調べ、またコンビニの所在も確かめて戻ると朝食の用意が出来ていた。
 食後,今回のキャンプの活動内容についての話し合いを行う。このキャンプでどんな活動をしたいか,また日々の生活をどのように進めるか,食料や水はどのように調達するか・・等々,スタッフが知りえている情報を提供しながら子ども達自身に考えてもらおうとしたが、子ども達にとっては海辺のキャンプは初めてなので、何をどう考えればいいのかイメージが湧かないらしく、活発な話し合いとは言えない。
 見えないものを対象にいくら考えても具体性に欠けるので、活動内容については現地に着いてから改めて考えることとし、最低限の買い出しの計画を立てるに留めて10:00過ぎに宿舎を出る。
 まず、木偶弟の経営するやまび香房でルッコラ,キュウリ等の野菜を調達。次にスーパーで買出し。終って五日市駅に移動。14:35発の電車で柳井港駅に向かう。N氏が電車で車を引き取りに来てくれた。

 柳井港駅着15:40。1つ後の電車で佐伯FHCのO氏とF氏が到着。またAki・Tomoko姉妹と両親はすでに車で来ていて、この日の平郡島キャンプ参加者14名全員が揃う。個人的なことではあるが、つい1週間前に白馬鑓の稜線で雷雨と強風下を縦走したメンバーの内の4人が瀬戸の島で再会することとなった。

一行は16:30発のフェリーに乗船し、1時間半後の18:10平郡島着。東港で待って下さっていたKoujiさん,Junさんから『明るいうちに』とせかされて挨拶もそこそこに五十谷に向かう。
 港には、前回の打ち合わせ訪問の時に10数年ぶりに再会した、島に移住して有機無農薬栽培の野菜づくりに取り組んでいるM氏夫妻(旧知)が出迎えていて下さり、そのM氏から『私達は8・6の取り組みで当分の間広島に行っているので、その間,軽トラを自由に使ってくれていい』と言う申し出を受けた。
 koujiさんのお宅には前回車で運び込んだ大量のキャンプ用具を置かせてもらっていたのでこの申し出は有難く、早速荷物を積んで五十谷に運こぶ。

 16:30出航。
 子ども達も元気に歩いて19:30頃には五十谷三島の海岸に着き、テントの設営にかかる一方,夕飯づくりが始まり、こうして2日がかりでキャンプ生活の開始に漕ぎつけた。

 

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