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2008-08

クサフグを捌く


  
 昼間の釣りでは餌取り名人のクサフグに悩まされる。どこの釣り場でもクサフグは厄介者扱いで、海に返されること無く堤防の上に放置されて干からびているのをよく見かける。中には憎しみを込めてコンクリートに叩きつける人もいる。おとながやって見せるので真似する子どももいる。
 元より釣れたクサフグに罪があろう筈は無く、釣人の技術の結果釣れただけのことであるのにクサフグに当たるのは筋違いも甚だしい。食べないなら海に返すべきであろうしその前に釣るなと言いたいが、釣ってしまうのは自分も同様で、できるだけ丁重にハリを外してお引取り願うが、大き目のものは捌いて頂くことにしている。クサフグと言えどもフグはフグで美味なることこの上なく、しかも免許が無い以上他人に食させることはできないので堂々と全部1人で食べることが出来る。

 ①頭の後ろから包丁を入れて
   
 ②頭を引っ張り、皮と一緒に内臓を剥ぎ取る
        
 ③切り離された頭部・内臓と可食部分の身。
 フグは血液,卵巣,肝臓,皮に毒があるので、それらを全部取り除いて海に捨て、身についた血はよく洗い落とす。
 頭の後からではなく首から切りを入れて後ろの皮1枚を残し、頭を引っ張って皮を剥ぐと内臓も一緒に取れるので、その方がいいかもしれない。

 ④三枚に下ろして骨付きの部分も捨てる。
        
 ⑤薄皮にも毒があるので剥ぎ取る。
            
 ⑥わずかな血もついていない棒身
 三枚に下ろして骨付きの部分も捨てる。うまく処理すれば骨の中の骨髄も食べられるらしい。中には肝の血を洗い落として食べるという人もいるが、そこまで危険を冒すべきでなく、筋肉の部分だけを食べることにして、他は一切捨てることが肝要。調理道具についた血をしっかり洗い、また調理場に落ちた血もよく洗い流して地上には不食部分を一切残さないこと。

 ここまできれいに処理すれば安全だが、クサフグは筋肉にも毒があるとする記述もあり、また漁師さんの中には季節によっては食べない方がいいと言う人もいる。
 Takaharuさんは『命がけで食べるほどのものではない』と言い、他にいくらでも美味しい魚はあると仰る。数多くの種類の魚を相手にしている漁師さんの言葉だけに説得力がある。
 確かに『フグ』,『フグ』と目の色を変えるほどのものではないかも知れない。大きいものならともかく、小さいのを捌くのは面倒すぎる。

 

JUNさんの潜水教室



 Junさんは潜り漁の人。   
 神奈川県の高校で社会科を教えていた方で、去年,夫人と愛娘Nonちゃん(2才)を伴って平郡島にIターンし、素潜り漁の漁師さんになった変り種の人。小柄ながら逞しい体つきで日(酒?)焼けした顔いっぱいに髭を蓄えるが、時折その髭をサッパリ剃り落としてしまうことがあり、そうすると本人と気づかず通り過ごしたことがあるほどで、柔和な目をいっそう細くしながら連発するオヤジギャグとの落差は大きく、実際は見かけ以上に若い。
 JunさんがIターンするに至った経緯は『水無月さんの平郡島行き顛末』  
 http://www.geocities.jp/takaharu0028/minazukisan.htm に譲るが、わずか1年余りで島の生活にしっかり溶け込み、その風貌とも相まって今や誰が見ても『島の漁師』さんである。


 そのJunさんが、Kojiさん,Takaharuさん,Masakazuさん等Urabe3兄弟漁師さん等と共に私達のキャンプに全面協力して下さり、頻繁に顔を出して子ども達やスタッフ,参加者に島での楽しみ方を伝授して下さった。
 (以下『下さる』とすべきところ『くれる』に略す)
 今日はJunさんの現在の本職である素潜り漁の基本になる『潜水』教室。


 1時間あまりの講習でシュノーケルの使い方を教わり、うまく潜れるようになったようだ。
 Masakazuさんも素潜りの漁師さんだが彼は一息で5m,10mと深く潜って漁をするのでシュノーケルは使わない。一方,Junさんは主に潮の流れの速い岩場などの比較的浅い所での漁が多く、そう言うところでは息継ぎのために一度目を離すと同じ所に視点が戻らなくなり、目標を見失ってしまうのでシュノーケルは必要なのだそうだ。同じ潜り漁でも漁場が違えば潜りかたも違うようだ。
 
 この後,Junさんの手ほどきを受けたNaotoが何とタコをし止めてきて皆を驚かせた!


 島に朝便が戻って来た。この船で『獲れたて瀬戸内,岳ジャガ情報』の岳君が来ることになっている。

 

夜釣り,磯漁り


 広島組のうちのOgata,Fhujii,Akiの3人は明日午後便までの滞在なので時間が無い。なので渓流でも海でも、釣りでは私の数段上を行くOgataを誘って当然のごとく夜釣りに出る。
 新月で大潮らしく、磯の先端に出るにはまだ潮が高すぎたので、あまり深くない近場に竿を出してみたがアタリは無く、潮が引くのを追いかけながらメバルを狙って徐々に磯の先に向かうが反応が無い。

 イワガキ,カメノテ,カラス貝
 午前2時をまわって釣りを諦め、岩にへばりついた貝を取る漁りに切り替える。対象はヨメガカサとこれによく似たマツバガイと言う一枚貝で、潮と共に上がって来て、取り残されたものをナイフで取る。
 両者ともほぼ同じ菅笠のような形の貝でマツバガイの方が幾分厚みがあるが平べったい貝で、岩にピッタリと張りついている。岩肌をゆっくり移動するので、その時に貝殻と岩の間に隙間が出来るが、何かの気配を感じると吸盤のようにピタッと岩に吸いつく。こうなると手や指で剥がそうと思っても剥がれるものではない。なので移動中に岩との間にナイフを差し込んで浮かせて剥ぎ獲る。
 採った貝は身を親指の爪でこそぎとってそのまま食べるかゆでて出汁を取り、かつ身を食す。貝類はいずれもいい出汁がでる。
 内臓を取り除いて食べるが、胆が美味しいので内臓ごと食べてもいい。身はトコブシやアワビのようコリコリとして美味しいが、何分にも小さいので採りながら食べ、食べながらまた採る,あるいは貝汁にして食後のひと時に談笑しながら食べるといった具合のもので、食糧になるほどではないが、磯の楽しみの一つである。フジツボやカメノテ,ヘビガイ,シッタカやナガラミ等の巻貝等も同様である。
 大潮で普段は潮が来ないようなところにもこれらの貝類が登って来ていたが、上の方はみな小さい。ところが潮が引くにつれてどんどん低い方に追っていくと次第に型が大きくなり数も増えて4時までの2時間弱で200個あまり集めることが出来た。

 4時になって潮が相当下がり磯の突端まで出ることが出来るようになったので再び釣りに戻る。すでにメバルの時間帯ではないがべラが狙えるはずである。
 餌取りのクサフグがうるさかったが、そのうちにイソベラが釣れ始めた。イソベラは小さい割には強力な引きで根に潜ろうとするので結構楽しめる。ここなら子ども達にも確実に釣りを教えることが出来ると考えて人数分を揃え、7時に終ってテン場へ帰る。
 一旦帰って子ども達を釣りに誘い出そうとしたのだが、子ども達はすでに起きて食事を済ませ、海に入る支度をしている者もいた。しまったと思ったが遅かった。
 
 磯で一番面白い時間帯は5時から7時くらいの間であろう。明るくなるのを待って腹をすかせたまま出かけ、貝類を拾ったり朝まづめの魚を釣ったりして朝の食糧を手に入れ、戻ってみんなでそれを食べながらその日の計画を話し合う~と言う構想を描いていたのだが、釣れるかどうかを試しているうちに子ども達が意外に迅速に行動してしまい、ごく普通の日常的生活を始めてしまっていたのだ。
 やはり、子ども達を起こして海に連れだす現場にいなくてはいけなかった。この失敗は今回のキャンプを大きく左右してしまいかねないものになると言う予感がした。

 

夜の海を泳ぐ

 
 昨日,今日の長旅と初めて見た五十谷三島の浜と島の景色,海が真っ赤に染まった夕暮れのひと時,子ども達は何を感じ、何に思いを馳せているのだろうか・・,
 久々に聞く波の音。寄せては返すその音のみひときわ大きく、他に何も音のない世界に呑みこまれてしまったかのように、子ども達は,思い思いの場所に散らばってひっそりと耳をそばだて、闇の中で目を瞠っているかのだろうか・・。

 生暖かい風が海から吹いてくる。波の音は大きいが波は穏やかで規則正しくリズムを刻んでいる。
 波のうねりにゆったりと身をゆだねて見たくなり、また汗ばんで火照った体を冷やしたいと言う気も手伝って夜の海に浸かる。
 『泳ぐぞぉ~』の声を聞きつけて、テントの中にいたAkiが水着に着替えて来た。
 夜の海は気持ちがいい。何よりも泳ぎにつれて夜光虫が光るのがきれいで、それを浜から見ている人に見せてあげたいのだけど、泳ぐ者の動きが刺激になってそこにいる夜光虫達が光るのだから、こればかりは泳ぐ者にしか見えない。
 Akiは上から見るだけでは物足りなくて潜水具をつけ、潜って水中から夜光虫の光る様子を見ると言う。それは数倍素晴らしいに違いない。
 どうして自分も海の中から夜光虫の光を見ようとしなかったのだろうと,しきりに後悔している自分がいる。
 若さとは何とエネルギッシュなものなのだろう・・,と思う。自分にはそこまでの好奇心がなかったことに気づかされて少しショックを受けているのかもしれない。

 夜の海を泳ぐのはきもちがいい。
 

 

島の第一夜


 夏本番を迎えて島に渡る人も以前よりぐんと増え、それを迎える人々も入り混じって船着場はごった返していた。そんな人々の群れの中,私達を迎えに来てくれたkojiさん,Takaharuさん,Junさん等のにこやかな顔と共に、島に移住して農業を営みながら原発問題や平和運動に取り組んでいるMさん夫妻の顔があった。
 一行を代表して高1のKei君が挨拶したのを受けて、Koujiさんは『今日はともかく時間が無いのですぐに五十谷に移動してテントを張る』ようにと言い、明日にも『タコを持って行くから、自己紹介等はその時に!』とつけ加えた。

 出迎えてくれたMさんからは『私達は8・6の関係でしばらく島を離れるので、
その間,軽トラを使ってもいいよ』と言う願っても無い申し出を受けた。
 実は島に車を運び込みたかったのだが、往復で6000円もかかるので断念したと言う経緯があったので、感謝してあり難く使わせて頂くこととなり、さっそくテントやクーラー,炊事道具,ブルーシート,カヌー等の大きめの共同装備を積み込んだ第1便が浜に向けて発進。子ども達も最小限の荷物で元気よく浜に向かって歩き始める。
 五十谷に向かう道の峠を越える時、海に落ちる寸前の真っ赤な夕陽を見る。

 Miyuki,Ruriko(中2)の2人とスタッフのAkkoさんのテント~4日からMayu(中2)とお母さんが加わる。

 Yuya,Naoto(小5)の2人とKei(高1),スタッフのOkkunのテント~3日からYuki(高1)が加わる。

 火を焚いて食事

 すべての人と荷物が五十谷三島に移動するとすぐにテントが張られ、火を焚き遅い夕食を摂る

 FHCのOさんとFさんのテント

 Tomoko・Aki姉妹一家のテント
 こうしてキャンプ最初の夜を迎える。みんな、広げたシートに寝転がってすぐに寝てしまった。

 

防予諸島・平郡島

防予諸島防予航路
 周防と伊予の間に位置する島々を防予諸島と言い、平郡島はその西端に位置する。


 地図上の屋代島は大島とも言い、本土とは橋で結ばれているので柳井市から上関に向けて突き出た半島と、大島とに囲まれた部分は湾のように見える。その最奥に柳井港があり、四国の松山に向かう防予航路や平郡島に向かう平郡航路,祝島に向かう航路の発進基地となっている。
 松山行きのフェリーには、途中,大島の伊保田港に寄るものがあるが、面白いのはこの伊保田と松山の三津浜港間がなんと国道437号の海上区間となっていることだ。つまり海の上に国道がり、そこを走る唯一の交通機関が『周防大島松山フェリー便』と言う訳だ。
平郡航路平郡航路2
 閑話休題。柳井港を出たフェリーは右手に上関に至る本土の陸地部に沿って大島とに挟まれた海域をゆっくり南下(南南東)する。左手に見えていた大島の先端・法師崎を通り越してようやく正面に平郡の島影が見えてくると、船は平郡島の櫛崎と言うやや西に張り出した岬を迂回するために少し西に曲がる。それはまた陸地に沿って半島の千葉崎を廻りこむ様にやや西に曲がることにもなり、そのため上関に接近する感じがする。平郡航路は原発の着工に揺れる上関と縁が深いのだ。

 上関方面/櫛崎の漁場

 櫛崎は有数の漁場で、朝便でここを通る時は無数の漁船がひしめいているのが見られる。岬を廻り込んで船はやがてそのつけ根に当たる西港に着く。

 西港/長崎鼻

 西港を出た船は南東に進路を変え、長崎鼻という大きな岩壁の沖を通過すると行く手に五十谷三島が見えてくる。

 三島が見えて来た/ここを大きく廻る

 そこまではほぼ真東に向かって進むことになり、やがて三島の沖を大きく廻り込んで通過すると北東に進み、最後は盛鼻と言う突端を回りこんで1時間40分で東港に入る。
 このように平郡航路は島の一番外側を大きく廻り込みながら走るので時間がかかるのだ。

  無数にある大小の島々も平郡島以西は極端に数が減り上関の左手,南西方向は豊後水道を隔てて国東半島が見える。東に目を転じれば松山に至る航路が見え、そこから南西に長く伸びる半島は佐多岬半島で、先端の佐多岬はほぼ国東半島にまで達する。また松山航路から東に見える山塊の中に四国最高峰の石鎚山(1982m)を望むことも出来ると言う。

 航路の近くでスナメリの背を見た!
 船客のある人は本州,四国,九州と、北海道以外の3つの島が見える航路だ~と胸を張ったが、それはウソではない。

 

会議・買出し・そして島へ


 8月2日(土)5:00起床。まだ寝ている者はそのままに起きている者だけで朝の散歩。帰る日に備えて西広島駅行きのバス停を調べる。
 3つのバス停を見てどこが一番近いかを調べ、またコンビニの所在も確かめて戻ると朝食の用意が出来ていた。
 食後,今回のキャンプの活動内容についての話し合いを行う。このキャンプでどんな活動をしたいか,また日々の生活をどのように進めるか,食料や水はどのように調達するか・・等々,スタッフが知りえている情報を提供しながら子ども達自身に考えてもらおうとしたが、子ども達にとっては海辺のキャンプは初めてなので、何をどう考えればいいのかイメージが湧かないらしく、活発な話し合いとは言えない。
 見えないものを対象にいくら考えても具体性に欠けるので、活動内容については現地に着いてから改めて考えることとし、最低限の買い出しの計画を立てるに留めて10:00過ぎに宿舎を出る。
 まず、木偶弟の経営するやまび香房でルッコラ,キュウリ等の野菜を調達。次にスーパーで買出し。終って五日市駅に移動。14:35発の電車で柳井港駅に向かう。N氏が電車で車を引き取りに来てくれた。

 柳井港駅着15:40。1つ後の電車で佐伯FHCのO氏とF氏が到着。またAki・Tomoko姉妹と両親はすでに車で来ていて、この日の平郡島キャンプ参加者14名全員が揃う。個人的なことではあるが、つい1週間前に白馬鑓の稜線で雷雨と強風下を縦走したメンバーの内の4人が瀬戸の島で再会することとなった。

一行は16:30発のフェリーに乗船し、1時間半後の18:10平郡島着。東港で待って下さっていたKoujiさん,Junさんから『明るいうちに』とせかされて挨拶もそこそこに五十谷に向かう。
 港には、前回の打ち合わせ訪問の時に10数年ぶりに再会した、島に移住して有機無農薬栽培の野菜づくりに取り組んでいるM氏夫妻(旧知)が出迎えていて下さり、そのM氏から『私達は8・6の取り組みで当分の間広島に行っているので、その間,軽トラを自由に使ってくれていい』と言う申し出を受けた。
 koujiさんのお宅には前回車で運び込んだ大量のキャンプ用具を置かせてもらっていたのでこの申し出は有難く、早速荷物を積んで五十谷に運こぶ。

 16:30出航。
 子ども達も元気に歩いて19:30頃には五十谷三島の海岸に着き、テントの設営にかかる一方,夕飯づくりが始まり、こうして2日がかりでキャンプ生活の開始に漕ぎつけた。

 

広島へ!・・・木偶野呂馬の平郡島キャンプ・レポ


 平郡島へ!
 逗子市から参加の小学5年生男児2名は昨日のうちに森くらまで来て1泊し、スタッフと共に大町発6:34の電車で出発。これが本体となり、名古屋から参加の中2女子生徒1名と須坂市の高1男子生徒1名がが名古屋で合流する。このため名古屋では12:30の大垣行きまで1時間待ちとなる。
中津川からの快速電車は空いていて快適。ここまでは順調。
天気は曇りだが暑くなりそう、と言うよりすでに暑いが、電車は冷房が効いていて暑さを感じさせない。これまで冷房を避けてきたのに、今日1日中冷房浸けになると、せっかく暑さに慣れ始めた体が元に戻ってしまいそうでそれが恐い。

 前倒し
 名古屋着11:27。名古屋から参加の中学生は両親に連れられて既に駅のホームに来ていた。須坂から特急信濃で来る高校生もひとつ早い便で来たと言い、参加者が揃ってしまったので前倒しして12:00の大垣行きに乗る。
大垣着12:30。同42発米原行きに乗り、米原で発車待ちの快速姫路行きに・・とスムーズに繋いでまもなく姫路。予定より30分早く進行中。
 山陽路
 姫路発16:06発赤穂行き、相生乗り換えとなり、電車は夕陽に向かって走る。
さて、今回は初めての試みなので本隊が参加者を引き連れて引率する形になってしまったが、これは必ずしも本意でない。
また東京からの参加者を考慮したために東京駅の出発時刻を極端に早くしない設定にしたが、ただでさえ東京以西からの参加者は西の人ほど遅い出発となり、到着も遅くなる。
本体を松本発6:37とすると広島には20:00前に着くことができるし、今回のこの前倒しした電車でも30分早く着くことができる。
それを不可能にしたのは東京発を基準にしたことと引率と言う形にしたことによる。なので次年度からは引率をやめた方がいい。
ただしそれは一緒に行かないと言う意味ではなく、途中の乗り換えで他の線から来る人を待つための時間を必要以上にとらないで、最短の乗り換えで進行すると言うことだ。
仮に関東方面からの参加者が名古屋駅の通過時刻に間に合わないならば、今回逗子市から参加した2人のように前日までに大町に入って本隊と行動をともにするか、須坂市からの参加者のように特急で追いかけてきてもらう。
ただし青春18切符は共同で使用するには同一区間でなくてはならないので、本隊に合流して使用するには本隊が一旦降りて後続を待ち、切符を手渡してその切符で入場しなければならない。これは 本隊は待たないと言う原則に反する。要するに切符を共同使用して経費の節減を図るのは難しいと言うことだ。なので、青春18切符を参加費に組み込むことはやめて各自が購入することとし、余った切符は各自が別の機会に使うか、他の人に譲渡するなどして有効利用するか金券ショップで売るなどした方がよいと言うことだ。
 広島泊
 広島駅着20:50。最初の協力者であるN氏が車で駅まで迎えに来てくれている。全員が乗れるワンボックスで駅近くのスーパーへ行き、今夜と明朝の食料を買い込む。彼はそこから歩いて自宅に帰り、私達は彼の車を借りて五月丘の宿舎に向かう。
 宿舎に着いたのは22:00過ぎ。すぐにご飯を炊いて遅い夕食を摂り、シャワーで汗を流してそこそこの時刻に休む。
 2日目を早発ちとせず、キャンプの活動計画の話し合いや買出しに充ててあるので、明朝は多少遅く起きるのも可とする。

 写真は尾道水道
 この宿舎は、以前木偶が2年間借りていたもので、今回は家主さんのご好意で8月1日と6日だけお借りすることが出来、宿舎とする運びになったもの。通常は空き家で、その管理を知人で、広島での冒険学校の創立以来のメンバーであるO氏夫妻が任されており、O氏夫人には部屋の掃除や草取り,およびガスの臨時開栓の立会い,その他でお手を煩わせることになった。
 広島ガスは、営業とは言えわずか1週間の開栓に快く応じてくれて何度か足を運び、ガス器具の点検や調整をしてくれた。(使用したガスの料金は461円)
 このように、今回のキャンプは広島・山口在住の多くの仲間達や現地の方々の協力によって成り立っている。

 

第一回 平郡島キャンプ2008終了!

2008年の新企画の一つであった「海と島の冒険キャンプ」が終了して1月が経とうとしています。このキャンプは私達千年の森自然学校にとって外に出て行く初のキャンプであったこともあり、色々なハプニングやサプライズに遭遇しましたが、多くの方々のご協力により、特別大きな怪我や事故もなく、無事に終了することが出来ました。
本当に沢山の出来事があり、6泊7日という期間以上の思い出があるように感じています。このキャンプをこの場の文章で語ることは困難なので、ここにいくつか私の気に入ったシーンを掲載します。

柳井港からフェリーで平郡島へ!まずは船ではしゃぐ!

ここがキャンプ地の五十谷三島(いやりみしま)暑い!

島での食料調達は順調?

地元のジュンさんによる「潜り」の教室。真剣な顔と深みのあるギャグが交差するとても温かみのある人です。

こちらが漁師3兄弟の長男、コウジさん。差し入れてくれたタコを手馴れた手つきであっという間にさばく!

五十谷三島にある岩礁には沢山の貝類が手に入る。

船着場で釣りを堪能。暑さが激しい中、竿の引きと自動販売機がこども達に頑張りをもたらす。

釣ったのは今回初参加のナオト!総合でも一番の釣り上手でした。

漁師3兄弟の次男タカハルさんによる干しだこ講座。タカハルさん曰く10分程度の仕事らしいが、僕らは1時間半くらいかかった。

島生活最終日にコウジさんが料理&酒を振舞ってくれた。さすがドイツ帰りのシェフ、うまい!おまけに、風呂と寝床も提供してくれて、最高の歓迎をありがとうございます!

最後は宮島で観光。手前のシカの注目?人懐っこいのはいいけど・・・。
このキャンプは、多くの人々との出会いと皆様のご協力があってこそ成功に導くことが出来ました。
山のあしおと小学校の木偶さん、平郡島の皆様、広島周辺の協力して頂いた皆様、心よりお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
そして、次回も何卒よろしくお願いいたします。

 

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