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今年の思い出・・・・カモシカを看取るこどもたちの物語

 

春のもりくらで起きた「ひとつの命の終わり」。

作成: 鈴木 メイザ 日時: 2012年5月5日 15:38 ·

早朝散歩に行った方から「電波塔の上に瀕死のカモシカがいる」という連絡を受けて、様子を見に行く。

この段階では野生動物がひっそりと命を終える様子を間近で見にいく・・・っていう悲壮感が全くなく、まだまだトラックに揺られて大はしゃぎなのが子供のいいところ。

第一陣の青木さんからのレポートによると、下半身骨折らしくまだ息はあるとのこと。

妊娠の兆候?があるそうなので山岳博物館に連絡をする。

赤いシャツの子の先に横たわっています。てことはこの左上の崖から墜ちたってことか。。。

カモシカ調査班のナオたちはこの距離で野生の個体に対峙できることに興奮を抑えつつ、記録を取る。静かな時間。

時折上体を起こし、苦しげに前脚で足掻いたりするものの、腰から下は全く動かせない様子。しかし腹部が動めく様子は確かに胎動のそれ。

それを観たかーちゃんずは「うおお、身に覚えがある動き。。。」と既に他人事でなくなる。

5日の早朝に滑落した状態で発見された牝カモシカ。この時はまだ意識がありました。

山岳博物館館長 宮野さんがご到着。所見ではパラポックスウィルス感染の兆候なし、後肢に骨折のあとがないので滑落時に脊椎損傷があったのだろうとのこと。

宮野さんのご判断としては事故が自然界で起きているものであること(交通事故など人間に起因するものではないこと)、保護しても明日までの延命に終わることが明白なこと、自然界でしばしば起きる淘汰の現場が「たまたま」人の目に触れるところで起きたということ・・・を挙げ、通常の判断では我々が手を下すことはしない。が、こういうケースではえてして発見者から「何とか助けてやってくれ」という要請がある場合が多いので、その時はその気持ちを尊重しますとのこと。

「どうしますか?」

という重い問いかけが子供達に投げかけられる。

「目の前の命をどうするか」。

カモシカたちを一年かけて追ってつぶさに観察してきたカモシカ調査隊の子供達にとっては非常に重く、酷な問いかけである。それでも四人の子供達はグッと考える。

そして捻り出した答え 。

「助けなくていいです。最期までここで看取ります。」

すげぇ。子供って本当にすげぇ。

命に対する最大の敬意を払う選択をした君たちを、心から尊敬するよ。

山岳博物館館長ミヤマさんがしてくださったお話。 動画 http://youtu.be/KB9NxjmymvU

「なんとか救いたい、可哀想だと思う気持ちも大切にして欲しい。動物の生き死にというのは僕らにいのちにどう対するべきかを教えてくれるから。」

もりくらというフィールドで子供達にこういう素晴らしいお話をしてくださる方がいらっしゃることに、深く感謝する。

***

翌朝「ともさん、カモシカの様子を見に行きたいです」といって朝ごはんも食べずに登って行った女子二人が戻ってきた。

「カモシカ死んでいました。お尻がもうクマに食べられてました。」

と写真を見せてくれたナオの顔には感傷のそれはなく、スッキリとして達成感のようなものを漂わせていた。ああ、すっかり研究者の顔だぁ・・・と、眩しく思っていると、ともさんから

「何でクマだって考えたの?誰が言ったの?本当にクマだって合ってるか証拠を確かめないとだめだよね。クマだったら全体を運べる筈だから・・・」

と矢継ぎ早な質問。こ、このヒト、相変わらず見込みがある子供とみると、もん凄い高いことを求めるっ!!

臀部が齧られた遺骸写真を見ながら、クマだったら安全なところに運んで食べるだろうし、ひと噛みがもっと大きいはず。テンやイタチのような小さい肉食獣がひと噛みひと噛み食べていったのでは?まず真っ先に手を付ける内臓に手を付けていないことからもやっぱりクマで無い可能性が高い?など。遺骸になってもカモシカが教えてくれることは多い。

しかしナオの忍耐強さと執念には居合わせた大人たち全員が心から感服しました。実は昨日も日没間際までカモシカの側で呼吸数を計測していたのです。

「最初20回/分くらいだったんだけど日が当たると苦しそうになって138回/分くらいになっちゃって。日が陰ると少しおさまるんだけど、それでも120回/分くらい。お腹の赤ちゃんはもう動いてないのでダメかも。」「目が真っ赤になってね、苦しいと舌がベロって出てきて、段々目も開かなくなって」

と様子をつぶさに語るナオは、カモシカ調査隊
の隊長。つまりもりくらで一番カモシカに詳しい子供なのですが、まだたった5年生だからね!!瀕死のカモシカの呼吸数を計り続けた小5なんてそういない。去年の彼女のカモシカに関する自由研究が高い評価を受けたというのもうなづける粘り強さです。

***

ナオの報告を受けて、子供たちでもう一度現場に向かいます。

カモシカの遺骸はムダにしません。三体目の骨格標本としてもりくらが所有できるよう、当局に発見状況を細かく記載した届出を提出した上で、土中に埋めて肉を腐らせ、骨格標本にします。死してなお、子供達の知の肉となり骨となることでしょう。

幸い朝の段階からさらに喰われた様子はなさそう。それぞれのカタチでお祈りをした後、子供達だけの力でトラックの荷台にあげろとのともさんの指示。みんな最初はさわることができない。しばらくしてやっとひとりひとり恐る恐る手を伸ばして四肢や角を掴み始める。 http://twitpic.com/9hvj4x

それでもどこかお互い他人頼みになっている子供達を見抜いたともさん「カモシカの成獣は40kg。小5のトワ位の体重だ。コレがあげられないってことはトワが怪我した時にみんなで助けられないってことだぞ。」しんとなる子供達。誰ともなく掛け声がかかり、荷台に上がれ。足をしっかり持てと声が出始める。

土砂降りの中、カモシカと一緒にトラックの荷台に乗って帰還したこどもたち。

胴長、体高など細かく計測。妊娠中は角の成長が止まるので、何歳の時に出産したかもわかるそう。早く分解してすべての骨を残さず回収できるよう、ユンボで深めの穴を掘り、傾斜をつけた底にビニルシートを張って埋葬する。

余談になりますが、子供たちが荷台にカモシカの遺骸をあげようとした時、ワタシはブルーシートに一旦乗せてからシートごと上に上げることをともさんに提案したのでした。

しかし、そのときともさんは

「ごめん、ちょっとやらせるから時間ちょうだい。」

言うのでした。その瞬間「あっ!」と天啓のように気づきました。

ともさんはこの時、小さな素手に感じる「40kg」という重さを通じて子供たちにカモシカの命に触れて欲しかったんだなと。

ともさんの一言でようやくスイッチが入ったこどもたち。子供たちだけのチカラで荷台に上げます。

雨に濡れた毛が手にたくさんまとわりつき、脱糞の臭さに素直に顔を顰める子供たち。でもそれはブルーシート越しには絶対に触れられない「何か」。ともさんってこういう方なんだ。

ホント、この人には適わないや。。。

できるだけ沢山の人とこの「ともさんの凄味」を分かち合いたいと心から思う。

心身ともに、円熟期なんていう生やさしいもんじゃない、ある種の「極み」にいる今この瞬間のともさんに、みんな会いに行って下さい。ホントに!!

 


 

Comments:5

やまざき母 12-05-20 (日) 21:20

親と妹は家の事情で一足早く家に戻り、我が家ではナオ
ひとり最後までカモシカを看取りました。
「カモシカね、死んじゃったんだ。」
吉田のお母さんとメグに送ってもらって電車からおりてきた
ナオが言いました。
「お尻の所を食べられちゃっていたんだよ。」
おもむろにカバンから取り出したデジカメの写真を見せて
くれました。
無残なカモシカの姿が私の目に飛び込んできました。
「カモシカ埋めてきたよ。」
「すごい臭いがしたし、ハエもいっぱいいたんだよ。」
「でも、ママ、まだ固くなくて、柔らかかったんだよ・・・。」
「そうか、死んじゃったのか。大変だったね。」
私のほうがうろたえて、そんな言葉しか出てきませんでした。
いつもと違い言葉少ないナオに、身体の力が抜け落ちて
まだ、現実を受け入れられない、そんな痛々しい気持ちが
伝わりました。
春休みに、
交尾のような珍しい場面が見られたんだと、もの
すごく喜んで興奮を抑えられない気持ちで帰ってきました。
「赤ちゃんが生まれたら会いたいな。でもお父さんは誰なの
か知りたいんだ。」と、うれしそうに、次にもりくらに行く
のを楽しみにしていました。
ところが今回カモシカの死に遭遇するとは夢にも思っていな
かったと思います。
下半身がマヒして立ち上がることができず、もがいた跡が
あり、おなかには赤ちゃんが動いている。もう助からないと
聞いたとき、心が凍りつく思いだったと思います。
年長のとき、助産院で生まれようとする妹を怖くて待って
いられなくなって、外へ出て行ってしまいました。
どちらかというと、怖さが先に立つと一歩引いてしまう子で
したが、11才になったナオは、今回は違っていました。
息絶えそうなカモシカがナオを大きく動かしました。そばを
離れず、最期まで見送りました。
死んでしまったカモシカがまだ柔らかかったというナオの
言葉は親の私にもずしんときました。
生まれて初めて野生動物の死に直面したことは、子供たちに
とって生涯忘れられない衝撃的なことだったと思います。
昨日まで生きていた命の光が消えるまで生きようとしていた
カモシカのお母さんとおなかの赤ちゃんの姿、雨の中、息絶
えていた姿はずっと脳裏に焼き付いていると思います。
大人なのに私は自然の摂理のままに・・・と頭の中では分か
っていても、どこかで助けてあげたい、奇跡が起きて助かっ
てほしいと願っている私がいました。
ナオはカモシカについて調べてみたいと言い出すと、カモ
シカ自由研究の企画を子どもキャンプに加えて、新しいこと
に挑戦するチャンスを作ってくださり、挑戦中も、時間が
遅くなっても子どもたちがもう一度探したいと訴えると、
とことん付き合ってくださり、春休みの企画はないけれど、
カモシカに会いに行きたいと突然電話しても、ご自身の仕事
の予定を変更して、子どもたちの気持ちをくんでくださり、
そして今回もものすごい経験をさせていただきました。
いつもトモさんには感謝の気持ちでいっぱいです。
吉田家はじめ、もりくらのみなさんにもナオの親代わりを
していただき、たくさん助けていただいています。
本当にありがとうございます。
朝重さんに出会えて、カモシカ調査隊の仲間のみんなと出会
えて、森の中を一緒に追いかけられることは、とても幸せな
ことだと思います。
この次はカモシカの赤ちゃんを連れた親子に出会えるといい
なと思っています。

ともしげ 12-05-20 (日) 22:29

なお
あれから、カモシカには6回以上会ってる。
うち2回は単独のビッグママ。
1回は、たぶんNAO09
あの亡くなった母カモシカはたぶん過去の写真データの中にいる知ってるはずの固体だと思う。
この山のカモシカは10頭から15頭くらいだと思うんだけど、子どもを生めるのは、こどもたちとオスを除くと亡くなった個体とビッグママの最低2頭から4頭くらいの間、計算上はね。そんな貴重な母カモシカを亡くしたことは大きい。それが自然のなすこととすれば、我々人間は何をすればいいのだろう。
 
 この時期には、毎年必ず少なくとも1,2頭の仔カモシカに会えてきたのに、今年はまだない。ビッグママは高齢だし、今年の仔はないのかもしれない。
僕らのやっている調査というのは、ただ眺めている行為ではない。歩いて歩いて観察して、かれらの置かれている現状を克明に記録し、人がなすべきことに警鐘をならすこと。
 同時に、僕ら自身が学ぶことも大きい。
さらに、幸いなことに、もりくらという かなりの大きさの山を僕らは所有している。その中では、彼ら野生動物と我々人間の世界を、僕らの意思で築いていける。
 大切なのは、自分のやれることを探すこと。このカモシカ調査に限ったことではない。いつも、微力であってもいいので、自分のやれることを探し続けることが、生きる姿勢だとう思う。
木曜日から専門学校TCAの野生動物専攻の学生たちが44名入る。少しはカモシカ探しも出来そうなので、探してみるよ。
 みつけたら、ブログで報告するね。
まってて。

よしだ母 12-05-23 (水) 13:46

うちのチサキはじめ3人のちびたちも
ともさんや森で出会う大人たち、
ナオやルリ、トワ、ユウシュン・エイシュン、アモン、タマちゃん…(書ききれないなぁ。)たくさんのこどもたちに出会えて、
そして
いつも予想外の出来事がおこる
もりくらの大自然の中で過ごすことができて、
稚拙な表現でしか言葉にできないのですが
幸せだな と感じています。
ナオがいてくれたから チサキも一緒にカモシカの看取りに立ち会えました。
学校では出会えない体験、友との出会いに 感謝・感謝です。
発見から看取り、観察、埋葬が終わった後の
10歳前後の2人の女児の
意外とすっきりしたような 大人びたまっすぐな瞳と
車に乗り込んでから瞬時に夢の世界に出発した 寝顔の幼さが印象的でした。

ひなbaba 12-12-10 (月) 22:33

昨日、主人と谷川岳一の倉沢まで歩きに行きました。
国道291号 天神平ロープーウェー駐車場から車両通行止めの道を歩き進んで行くとマチガ沢手前で瀕死のカモシカがいました。
出血はしておらず、吐いた後があり、右前足が折れているようで、最初は死んでいると思いました。 
私たちが近づいても動きません。ただ、耳が動き生きているのがわかりました。
寒さに震え(私たち人間に震えていた?) 動けない状態で、でも私たちを見ている
そんな状態でも何もしてあげられず、帰りには死んでいるね、と主人と話していました。
目的の一の倉沢まで行き、同じ道を戻ってきました。
「あのカモシカ、もういなければいいね」 「もう死んじゃったよね」 と話しながらその場所に行くと
こちらに顔を向け、生きています。
でもどうにもできず、どこにも連絡をせず、帰ってきてしまいました。
あの時、ああいう場合、どうしたらいいのかネットで検索していたら、このページが目につきました。
一読させてもらいました。 
自然の中で生きている動物が自然の中で死んでしまう、それは自然界では普通のこと。
たまたま人間の目のつく所だっただけのこと。
「そうなんだ」と自分の中で整理できたような気がします。
今日みなかみは積雪1メートルとニュースで言っていました。

tomo 12-12-28 (金) 3:53

ひなbabaさん コメントありがとうございます。自然の中では死はいつも隣り合わせにあること・・・・・僕は、若い頃秘境探訪や海外登山専門の旅行会社にいて、人の死も、いつも身近に感じていました。人の世界も、場所を変えれば、或いはちょっと長い時間でみればそう変わらないはずだと考えて来ました。ここ千年の森での体験も、そんな世界観の延長にあります。
 死を見て、生を考えていくことはやはり大切なことだと思います。

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